スウェーデンハウスオーナーのコピーライターが綴る、ひとりごとのような本音エッセイ。
結露の思い出
小学生の頃、我が家のピアノは恐ろしく寒い客間に置いてあった。冬、練習が大嫌いだった私が、母に叱られ、客間に行くのはいつも決まって暗く、寒くなってからだった。ストーブをつけてもらい、やかんでお湯がしゅんしゅん沸いているのだけれど、指先はとても冷たくて、時計の針ばかりが気になった。そんな時、庭に車が入ってくる音がすると、椅子から飛び降り、大きな掃き出し窓の方に飛んで行ったものだ。当然結露で外は見えない。「誰だろう?」──はやる気持ちを抑えながら私は結露の窓に指でメガネの絵を描き、その穴からそっと外を覗く。お客様なら客間を使う。今日のピアノはおしまいだ!結露メガネはほどなく涙を流し始め、窓枠にしみこんでいった。
結婚後に住んだ分譲マンションの結露もすごかった。当時のヒットは「結露ワイパー」というもので、毎朝面白がって「こんなにとれた!」と集めた水滴の量を喜んだものだ。でも、面白がってはいられない。カーテンにシミはできるわ、畳にカビが生えるわ、除湿剤の消費はハンパじゃないわ...そして子どもを生む頃、「結露はダニやカビの原因になり、健康にも影響がある」という事実を知った。百害あって一利なし。メガネを描いて遊んでる場合じゃなかったのだ。
スウェーデンハウスに住んでから、当たり前かもしれないが、結露には一度もお目にかかっていない。今の私にとって結露は遠い日の、ノスタルジックな思い出に過ぎない。今でも結露と戦っている人にそんなことを言ったら、なんとも鼻持ちならない、嫌味なヤツと思われるかもしれないけれど、敢えて言わせていただきたい。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
うちの娘には、結露の思い出は作ってやれない。でも、カーテンを開けただけで目に飛び込んでくる、冬の朝の景色やクリーンな空気は、きっと記憶のどこかに残るのだろう。健康で快適な毎日に、感謝をしながら暮らしていきたい。
社長に会った
スウェーデンハウスが今年で創業30周年を迎えるということで、前回「THE SWEDEN HOUSE」が記念特別号だったのをご存知だろうか?そしてそして、巻頭の「社長インタヴュー」をお読みになっただろうか?
僭越ながら、インタヴュアーはこの私。オーナー代表という名目で、岡田社長に話を聞きにうかがった。コピーライターという職業柄、企業のトップに会って話を聞く機会は少なくない。規模の大小に関わらず、社長と呼ばれる人が語る言葉は、いつだって面白く、刺激的だ。30分も話していれば、その人となりはだいたい分かる。
さて、岡田社長、登場と同時に「無茶苦茶緊張してます。こんな顔ですけど、緊張するんです」と、苦笑い。気さくなセリフに場が和む。社長はアイドル並に忙しい。家に帰れない日もあるらしい。折角建てたスウェーデンハウスで寛ぐ時間もないなんて、気の毒な話だ。
話を聞きすすめるとしかし、そうまでして会社全体のこと、オーナーのこと、社会のこと、環境のこと...真剣に考えておられることが良くわかる。営業畑出身のせいか、現場の声に耳を傾け、オーナーの気持ちに寄り添おうとする姿勢もすごい。「口が裂けても本人には言えませんが」と前置きをしながら、奥様に対する深い感謝を述べておられたのも、印象深い。
以前、北海道で親会社の工場長だった時には、従業員たちに手作りカレーを振舞われたとか。3日間煮込んだチキンカレー。飲み会で交わした口約束を守り、寸胴鍋3つ...いいなあ、そういうの。力を得ると、人はなんでも力で解決しようとする。歩かなくなって、頭を下げなくなって、気づかなくなる。寸胴鍋3つ分の玉ねぎ...さぞかし涙が出ただろう。さぞかし美味しいカレーだったろう。「感謝を忘れない人なのだな」、そう思いながら話を聞いていた。
この人がトップなら、スウェーデンハウスは安泰だ。きっと、もっとずっと、良くなっていくんだろう。お世辞でも社交辞令でも何でもなく、今後のスウェーデンハウスが楽しみだ。ああ、オーナーで良かった!うーん、幸せだなあ、我が家は。
mjukな私
スウェーデンハウスはワンスペックだ。お客様のご予算に合わせた「〜シリーズ」など、高級版、廉価版のようなカテゴリーもない。スウェーデンハウスと言ったら、スウェーデンハウス。どのスウェーデンハウスも同じ住みやすさを約束してくれているから嬉しい。
だから、昨年「スウェーデンハウスから新商品が出る」という話を聞いて驚いた。おかしいじゃないか。ワンスペックはどうした。「変わらない」はずではないのか?──が、蓋をあけてみるとそれは、新商品ではなく「新しい暮らし方の提案」だった。mjuk──ミュークというのはスウェーデン語で「やわらかい」という意味で、強く、優しく、自分らしさを大事にする...そんなスウェーデン女性たちの暮らし方をお手本にしたライフスタイルの提案だったのだ。
そして早速、横浜にあるmjukのモデルハウスを観に行ったのだが、わあ、素敵。いいなあ、こういうの。「夢物語のようだわー―でも、我が家も基本は同じはずよね」「真似したくてもできないや──でも、自分なりにやればいいのか」などと、ぶつぶつ言いながら楽しませてもらった。
mjukも我が家も、同じスウェーデンハウス。「こんなのどう?」と見せてもらった「暮らし方」は、少なからず良い刺激となり、忘れていたたくさんのものを思い出させてくれた。家電や携帯などは半年もすれば新しい機種が出て、新しい機能がついて、「ああ、もうちょっと待ってから買えばよかったなあ」なんてことになる。住宅だって、メーカーによってはそういう場合もあるだろう。でも、スウェーデンハウスの機能はすでにほぼ完成形だ。ワングレードでワンスペック。他を羨ましがる必要なんてない。うーん、幸せだなあ、我が家は。
私のまわりから愛そう──mjukに教えてもらったこと、思い出させてもらったことを抱えて私は、私のスウェーデンハウスへ帰った。もっと自分の毎日を愛そう。強くてきれいな自分でいよう。その日から、我が家はちょっぴり「mjukな我が家」になった。
アメニモマケズ
「最高の人生とは、アメリカの家に住み、イギリスの服を着て、中国の料理を食べ、ドイツの車に乗り、日本人女性を妻にする」──昔からよく聞くジョークだ。そしてお約束のように、裏バージョンの「最悪の人生とは」というのもあって、その出だしは「日本のうさぎ小屋に住み...」から始まる。日本の住宅事情を考えれば、仕方のないこと?広さで言えば、アメリカの家が一番だろうが、性能は?住み心地は?このジョークを考えた人はきっと、スウェーデン住宅を知らない人だ。
毎年この時季になると、スウェーデンハウスに住んでいて良かったなあとしみじみ思う。そう、台風の季節になるからだ。スウェーデンハウスの回転窓や屋根は雨風に強い。屋根は恐ろしく強い金具をたくさん使って固定してあるし、窓は一旦閉めればびくともしない。恐怖を倍増させる窓のガタガタもない。吹き付ける雨風の音もかなりのレベルでシャットアウトしてくれる。私はスウェーデンハウスというシェルターに守られ、家の中から、木々がうねるのを、雨が滝のように流れていくのを、「我が家も、実家にも、友人たちにも、そして日本中、どこにも被害が出ませんように」と眺めている。
日本は台風の通り道。しかも異常気象のせいか、昨今は台風シーズンでなくとも、爆弾低気圧だのゲリラ豪雨だの、天気が急に荒れることが少なくない。雨風に負けないスウェーデン住宅は、実は日本にこそ必要なのだ(地震のことを考えても、そう思う)。この家は大切な家族を、生活を守ってくれる。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
最高の人生とは?もちろん、物理的な条件で人のしあわせは決められないが、件のジョーク、「日本のスウェーデンハウスに住み...」から始めたいなあ。ゆく夏を惜しみながら、そんなことを考えている。
7回目のクリスマス
スウェーデンハウスに住み始めて7回目のクリスマスが、もうじきやってくる。初めての冬にはまだサンタクロースの何たるかも知らなかった娘も、もう小学校3年生。今年も「サンタさんに何をお願いしようか」と真剣に考えている。
一点の曇りもなく信じている娘の姿に出会えるだけでも、私のクリスマスはいつだって胸がいっぱいになる。私の大好きな本に、松岡享子さんの「サンタクロースの部屋』という本がある。幼い日に、心の中にサンタクロースを住まわせていた子どもは、サンタクロースが心の中から出ていってしまった後も、その空間の存在によって、目に見えないものを信じることができる...そんな内容だ。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも仙人でも、打ち出の小槌でもいい。子どもたちの心の中に「不思議」の住める空間をたっぷり作ってやりたい、と。
スウェーデンハウスでの子育てを、私はこの7年間、本当に楽しくやってきたように思う。反省山積の日々ではあるが、それでも、この家の「目に見えない力」に守られながら、一緒に絵本を読み、料理をし、勉強し、歌をうたい、喧嘩して、笑って、泣いて、互いに育ち合ってきた。スウェーデンハウスでなくても、そんな親子の時間は成立したのかもしれない。けれど、私はこの家だからできた子育てが、多くあったと思っている。
住まいが人の心や行動に与える影響は想像以上に大きい。木のぬくもり、開放感、安心感、美しさ、強さ、空気、匂い...物理的なことの他にも、目に見えない力が、スウェーデンハウスにはたくさんある。言葉にするのは難しいのだが、私はそれを感じ、そして信じている。信じることによって「本当」になるものが確かにあると、娘との時間を振り返りながら、そう思う。大切なものを信じることのできる素直な心、純粋な思い...その幾分かは、スウェーデンハウスが育ててくれたのだと思う。大好きなこの家で、私も娘も、少しずつ大きくなっている。うーん、しあわせだなあ、我が家は。