スウェーデンハウスオーナーのコピーライターが綴る、ひとりごとのような本音エッセイ。
ダブル・キッチン
我が家にはキッチンが2つある──と言っても、一つは娘専用の、おもちゃのミニキッチンだ。スウェーデンハウスを建ててしばらくたった頃、おままごとに目覚めた娘のために、夫が手作りしたものだ。実はそれまで、夫の趣味に「木工」はなかった。だから「本当にできるの?」と私はさんざん訝しんだ。設計図らしきものが出来て、道具を揃え始めた頃には「こっそり作って今年のサンタ・クロースのプレゼントにしたら?」と提案してみたが、「オレが作るんだ」と一蹴された。サンタに手柄を横取りされてなるものか...娘にありがとうを言われたい一心で、夫はそれから2年かけて、小さなキッチンを完成させた。
スウェーデンハウスに住んでいると、木が好きになる。コンクリートはもちろん、プラスチックや金属にはないぬくもりが木にはある。木に囲まれて過ごしていると、なんだか自分まで優しく、自然体になっていくようだ。気が付くと、インテリアも、身の回りの雑貨も、おもちゃも、なるべく木製のものを...と探している自分がいる。そして木を相棒にして生活をしていると、不思議と環境問題にも関心が湧いてくる。
木は切り倒される直前までCO2を吸収し、缶詰のようにそれを閉じ込めている。捨てられ、燃やされてしまえば元も子もないけれど、使い続ければCO2は缶詰のままだ。我が家が100年このままなら、地球温暖化に僅かでも貢献できるというわけで...スウェーデンハウスを選んだことは、「良いこと」だったと思うのだ。胸を張れる選択なのだ。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
「お父さんの作ったキッチン」は、本物のキッチンの並びに置かれ、私が料理を始めると、娘も真似をして料理を始める。「ちょっとお願い」と頼めば、嬉しそうに飛んで来て手伝いをしてくれる。幼くして木に親しみ、木と暮らしている小さな娘。2人でキッチンに立ちながら、これから少しずつ、自然とともに暮らすこと、地球環境のこと...大切なことを、伝えていきたいと思っている。
小さなお城
「コピーライターって、西麻布あたりの洒落たお店で、朝までお酒でも飲んでる人種かと思った」と言われたことがある。残念でしたね、こんなに普通の人間で──そりゃあ、若い頃には仕事帰りに遊びに出掛けたこともあるけれど、フリーになって5年、仕事の拠点を自宅に移してからは、西麻布も渋谷も遠い存在。案外地味な職業なのだ。そして、他のクリエイターがきっとそうであるように、コピーライターの仕事は夜になることが多い。夜ならば、電話やメールに煩わされることなく、落ち着いて考えたり書いたりすることができる。
そういうわけで、家で仕事をしていると、「書斎」の居心地はとても重要になってくる。広くなくてもいい。机とパソコンとプリンター、資料が収まる本棚があって、静かに「籠れる」場所なら、それでいい。しかし、6年前に娘を出産してから、「籠る」ことが難しくなった。夜中にがっつり集中していると、隣りの寝室からゴトッと音がする。寝返りなのか、布団を蹴飛ばしたのか...もしや、起きたのか?様子を見に立ちあがり、戻ってくる頃には、何を考えていたのか思い出せない──これじゃあ、仕事にならないよ...。そして、我が家の設計時、私は、「書斎はとにかく快適に。そして、眠っている娘の様子が分かる場所にしてください」という注文をつけた。
寝室の一角にスペースをとってもらい、大きな窓をつけた。引き戸を開けておけば、席を立たずに寝室の様子も分かり、仕事に没頭できる。窓際に机を置いても暑すぎず、寒すぎず。隣接するウォークイン・クローゼットとどっちが大きいの?というほどの「小さな城」だが、必要充分。私の大好きな場所となった。
煮詰まった時には、大きな窓に目を移す。美しい木製サッシに切り取られ、昼間は大きな青空が、夜は高速道路を走る車のライトが心を癒す。「西麻布は、あっちの方かしら」などと思いながら、「家がいちばん」と小さく、笑顔でうなずく。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
明日が、楽しみ
この5月で我が家は、スウェーデンハウスを建てて6年目になる。何を隠そう、私は若い頃から大の引越し好きで、20代には賃貸マンションを転々としていた。しょっちゅう住所変更の書類を出すものだから、上司から「何かから逃げているのか?」と心配されたほどだ。結婚し、賃貸を卒業してもなお、同じ場所に長くいると何となく落ち着かない。何か違う、ここじゃない…新しい場所に行かないと、自分を新しくすることなんかできないと信じていた。
ところが、スウェーデンハウスはこの5年間、私を全くと言っていいほど飽きさせなかった。それどころか、日に日に愛着が増し、自分自身の一部のように、家族の一部のようになってきた。しかも、新築当初のように清々しく、明るく、強く…スウェーデンハウスは、経年をあまり感じさせることなく、住む人の一部になっていく家なのかもしれない。
木のぬくもりのせい?キレイな空気のせい?頑丈さのせい?…理由はたくさんあるが、中でも特別に、私の目に日々初々しいものがある。それは「シェード(ブラインド方式のカーテン)」だ。落ち着いた、センスの良いインテリアコーディネーターさんと一緒に、時間をかけ、納得いくまで選ばせてもらった我が家のシェード。夕暮れ時、シェードを降ろすと、そこにはスウェディッシュ柄の布地が現れる。昼間の面持ちとは違う空間が始まるその瞬間が、私はとても好きなのだ。スウェーデンハウスの大きな窓ならではの、大きなシェード…私はこれも、スウェーデンハウスで暮らす醍醐味の一つなのではないかと、常日頃から感じている。日が暮れるのが待ち遠しい――そんなふうに思える住まいは、引越し多しといえども、この家だけだ。引越しなんかしなくても、容易に気持ちを切り替えることができる。次の時間が楽しみになる。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
眠りにつく頃、私はまたそのシェードを上げるしあわせを思う。窓から差し込む朝日に、新しい一日を心から他のしっみだと思える瞬間を。朝が来るのが待ち遠しい――次の5年も、そのまた次の10年も…私はこの家を、大好きなままでいるに違いない。
恋の季節
娘が恋をしている。と言ってもまだ7歳になったばかりだから、「好き」がほんの少し膨らんだだけなのかもしれない。おまけに相手が40歳の妻帯者、3月に卒園した保育園の副園長先生とくれば、親としてはただただほほえましく、面白がって見守るしかない。怪我をしたと聞けば回復を祈り、覚えたてのひらがなで手紙を書き、四六時中話題を持ち出すくせに、本人の前ではすっかり固まり、声が出ない…そんな娘を見ていると、どこかうらやましく、懐かしく、「好きになる」という心地よくも面倒くさい、そしてとても大切な感情に、こちらまで心がキュッとしてしまう。
さて、その彼が、先日我が家にやってきた。大学時代に建築の勉強をしていたそうで、スウェーデンハウスには昔から興味があったとか。「ぜひ一度」ということになりオープンハウスを試みた。
玄関で「木の香りがしますね」と言った彼は、リビング、ウッドデッキ、和室…と娘が案内する見学コースで進んでいく。そして「え?そんなとこ見て面白いの?」というような場所で立ち止まり、いちいち感心してくれた。もちろん、自慢の「窓」や、ゆったりとした「廊下や階段」にも興味津津。特に廊下や階段については「これだけで、とても贅沢」「家全体がゆったり感じる」と絶賛――確かに、我が家の廊下や階段は、ただ移動するための「通路」ではない。娘はよく階段に腰掛けて絵本を読んでいるし、陽光溢れる踊り場は私のお気に入りの「長電話スポット」だ。そして、これはバリアフリーを考えたモジュールなのだと説明すると、彼は「なるほど」とうなずいた。
スウェーデンハウスのことを好きだという人に出会うと、なんだか嬉しい。「大好きな家なんです」と紹介できることが、とても嬉しい。自分に似た人を見つけたようで、心がキュッとなる。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
別れ際に娘は、消え入るような声で「また来てね」とお別れを言った。小さな恋は、この先どこへ行くのやら。
誰かを好きになる。何かを愛しく思う──見慣れた毎日がキラキラと輝き始めるような出会いを、一つひとつ大事にしながら、大人になっていって欲しいと願う。
森から来た家
自然の中に、行きつけの場所があるというのは素敵だ。行きつけの海がある、森がある、山がある──銀座に行きつけのお店が何軒もあるなんていうのより、数百倍かっこいい。どんなに疲れても、どんなに迷うことがあっても、そこに足を向ければ、自分をチューニングすることができる…それってすごく贅沢だ。
20代の頃、家を建てるならコンクリートのうちっぱなしの家がいいなと思っていた。でなければ、超高層マンション…なんとなく無機質なものに憧れる年頃だったのだろう。好んで黒い服を着たり、メタリックなものを身につけたりしていた私は、ぬくもりとかやさしさなどといったものは、なんだか照れ臭く、自分には似合わないと思っていた。
ところが、20代も終わりに近づくと、なんだろう、色々なものがまとわりついてくるような感覚に、日々疲れを感じるようになった。ストレスというやつだろうか?自分が自分らしくない気がする。きちんとチューニングできていないギターを弾いているような、首をかしげたくなるような違和感…。
そんな時、珍しく家族で旅行に出かけた。戸隠へ、かたくりの花を見るために。森の中をたっぷり歩きながら、私は自分の心のトゲトゲが、ポロリポロリと落ちていくのを感じた。なあんだ、自然が、足りなかったんだ――。
その旅行以来、私は少しずつ素直になった。背伸びするのをやめにした。
家を建てるなら木の香りのする家がいいと思うようになったのはいつ頃からだろう。スウェーデンハウスに初めて足を踏み入れた時、あの日の「森歩き」を思い出し、私は大きく深呼吸をした。
スウェーデンハウスは、「森からやってきた家」だ。住んでいると日々それを感じる。気負わず、自然体に戻れる場所が、「ただいま」を言う場所で良かった。うーん、しあわせだなあ、我が家は。
自分らしさを取り戻す場所、それが「家」だ。だから「家」は「自然」であるべきだ。自然の近くで生きていく──私の毎日もそれだけで、なかなか贅沢なのではないかと、この家との出会いに感謝している。
パーティーの夜に
カレンダーの残り枚数も少なくなって、もうじきクリスマス。一年で一番賑やかで、光が美しい季節がやってくる。なんとなく人恋しくなって、誰かと美味しい物を食べて、おしゃべりをして、心まであったかくなりたいと思う季節だ。
我が家の場合、「クリスマスは家族で」が基本だが、当日以外の週末は気の置けない友人たちと、クリスマス・パーティーをするのも大好きだ。娘がまだ未就学だった昨年までは、寝かせる時間などを気にして夜よりも昼に集まることが多かったが、今や娘も小学生。「先に寝ていて」と言えば、ちゃんと聞き分けてベッドに向かってくれるようになった。今年あたりは、何回か、大好きな人たちを招いて夜更かしするのもいいなあと、密かにプランを立てている。
スウェーデンハウスを建てる前に住んでいた分譲マンションは、その前に住んでいた賃貸マンションに比べれば、格段にしっかりした建物だった(といっても、交差点の音がうるさくて自分で二重窓にしたけれど)。お隣の男子3兄弟の生活音も、昼間はさほど気にはならない。しかし夜中になると、ドアがバタンと閉まる音や、何かが床に落ちる音など、それなりに聞こえてきてしまう。隣の音が聞こえれば、我が家の音も聞こえるはず。足音、笑い声、音楽…遅い時間までのパーティーは、やはりとても気を遣い、「そろそろ解散しないと…」と内心ひやひやしたものだ。
でも、今は違う。スウェーデンハウスの窓の遮音といったら、ピアノのための「防音室」がいらないくらいだから、すごい。渋谷の交差点の騒音を、図書館並みの静けさにしてしまうっていうのだから、すごい。窓を閉めたが最後、深夜の笑い声も、音楽も、「ひそひそ話」に変ってしまう。
どうかゆっくりしていって。夜が更けるまで、たくさん話して、たくさん笑って、うんとあたたかくなって、クリスマスを一緒に過ごそうよ…そう言える家でよかったな。さーて、ツリーはどこに飾ろう。窓の飾りは?お料理は?プレゼントは?あれこれ考えると眠れなくなっちゃう…うーん、しあわせだなあ、我が家は。
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