スウェーデンハウスオーナーのコピーライターが綴る、ひとりごとのような本音エッセイ。スウェーデンハウス歴10年の筆者に、転機が訪れます。
エコにもう一歩
「地球にやさしく」という言葉が、日本で使われ始めたのはいつ頃だっただろうか。自然破壊をはじめとする環境問題への関心の高まりは、世界各国に比べて遅いスタートだったけれど、遅くったって、ちゃんと気づいて真剣に取り組むようになったのだ。その後しっかりやればいい。
私自身はどうかというと、無駄なエネルギーは使わない、いらないものは買わない(ゴミになるから)、オーガニック食材を選ぶ、リサイクルをするなど、身近なことから気を付けている。ちょっとした気配りでできることは案外多いし、やってみるとシンプルな暮らしはとても楽しい。スウェーデンハウスを購入した頃、この家が環境にやさしいということは理解していたが、約10年住んだ今、ここまで「エコ」だったか!と驚いている。
太陽光パネルこそついていないが、一度蓄えたぬくもりや涼しさを室内でキープできるというだけで、エネルギー消費は格段に少なくなる。エコロジーでありエコノミー...そう、「お得」もついてきた。エコロジーがエコノミーと両立するならば、それにこしたことはない。けれど、全てがそううまくはいかない。少し割高でも環境に配慮した物を選び、労を惜しまず行動する。本来はそうあるべきなのだろう。
スウェーデン人の友人が言っていた。「スウェーデンでは『地球にやさしく』なんて言わないよ。子どもの頃から「何が地球に正しいか』を教えられるんだ」。「やさしい」という言葉は耳障りがよく、なんだかそうしている自分が「いい人」になったような錯覚さえ起こさせる。第一、自分に余裕がないとやさしくなんてできっこない。誰だって、いつだって、人として選び取らなければいけない「正しく」とは大きな違いだ。彼は遠回しに「日本のエコは、なんかずれてる」と言いたかったのだろう。
地球温暖化一つとっても、環境問題はもう待ったなしの段階だ。私も、「お得」とか「いい人」とか、まず自分が中心の「エゴ」ではなくて、一歩踏み込んだ「エコ」を考え、実践しなきゃいけないなあ。
いざ、留守番
訳あって、先日入院をした。医者から言われた期間は2週間。朝が早く、帰宅も遅い夫には、小学生の娘の登下校、習い事のケアは物理的に無理だ。満を持して実家の両親に助けを求めることにした。高齢の父と、股関節の手術をしたばかりの母に留守番を頼むのは心苦しかったが、仕方がない。
しかし、電話をして事情を話すと、意外にもあっさりと承知してくれた。しかも母は、2階にある娘の部屋で寝泊まりしようかなと言うではないか。「でもお母さん、足がまだ痛いでしょう」──大がかりな手術の後、最近やっと杖で歩けるようにに乗って出て来るだけで精一杯のはずなのだ。が、驚く私に彼女は自信たっぷりに言った。「あなたの家の階段は、のぼれると思う。やわらかいから」。「!?」
手術をする前の痛む足でも、あなたの家の階段だけはスッスッとのぼれていたのだから、問題ない。手すりも良い位置にあるし、足が上がりやすい──それが彼女の言う「やわらかい」ということらしかった。健康で、元気な時には気づかない。けれど一旦それが崩れると、不自由になると、いつも使っている当たり前の道具や環境が、どれだけ使う人のことを考えてつくられているのかが分かる。真価が問われる。災害時などでもそうだろう。いざという時、「弱い時に強い」ものであること。それが自分と、大切な家族を守ってくれる。バリアフリーの床、暖かい室内、温度差のないトイレやお風呂、広い廊下や階段:高齢の両親の留守番を、この家は静かに支えてくれたのだと思う。
慣れない場所で、ストレスや不便も、もちろんあったかと思うが、何一つ文句を言わず、リラックスして留守番してくれている様子に、私も安心して入院生活を送ることができた。退院後暫くして父と母は帰って行った。滞在中に父は誕生日を迎え、90歳になっていた。大きな荷物をさげて、「身体を大事に。無理をしないで」と、改札を抜けてからも何度も何度も振り返り、手を振ってくれた。親というのは本当にありがたい。
Sweet 10 my house
10年目点検のことを、少し書こうと思う。10年目に入ると、「10年目ですよ、点検をしますよ」という内容の書類が届く。それは定期点検のたびに届くハガキよりもずっと重くて、ちょっと厳粛な感じさえして、なんだか「10年目ですね、おめでとう!」と言われているような気分になった。
自分で言うのもなんだが、我が家は築10年にはとても見えない。住み心地は入居時と変わらないし、訪ねて来る人たちは相変わらず「木の香りがするね」と言ってくれるし、目立った不具合なんか見当たらない。”市場における経済的価値”というのは10年もたつとガクッと下がってしまうらしいが、冗談じゃない。私は今でも毎日のように「素敵な家だ」と、しみじみしながら暮らしているのだ。
ただ、10年もたてばそれなりに消耗する部分もあるようで、お客様センターの松尾さん(若いのに優秀で大好きなので、家族内ではこっそり「松尾クン」と、親しみを込めて呼んでいる)は、あちこち叩いたり、耳を澄ましたりしながら、小さなトラブルを見つけ出し、調整できるところは手際よくその場で調整してくれた。シェードの上げ下げがしにくくなっていたり、外壁が日光で劣化していたり、浴室換気扇が寿命だったり...白アリを防ぐ薬もそろそろ切れる。おやおや、気づかないうちに、10年の疲れがたまっていましたか。
どう対処すればいいのか、私たちは”何でも知ってる松尾クン”。と相談しながら、最善の方法を考える。長く、長く住みたい家だ。疲れをためないようにしなくては。パインの色も味わい深くなってきた。庭の木も大きく育った。思い出もたくさん積み重なって、何もかもが私たち家族に馴染んできている。10年目、やっぱり「おめでとう」なんだなあ。たくさんの人に「ありがとう」を言いたい、そんな一日だった。
さよなら、我が家(その1)
11月に入ると上海は急に寒くなり、コートが必要になる。北緯31度。鹿児島とほぼ同じ緯度なのに、湿った風の吹くこの地の冬は、実際とても寒いのだ。──と、何を書いているのか…ウフフの我が家in上海?ありえない!
ところが、そのありえないことが現実になってしまった。夫の転勤で、あれよあれよという間に上海に来た私は、今、高層マンションの一室でこの文章を書いている。10年目を迎えた愛しい我が家で、10回目の冬を暖かく過ごすはずだった私たち家族。ある夜、帰宅した夫から驚きの人事が告げられた。「上海勤務になった」「え!?」叫んだ私は言葉を続けた。「いってらっしゃい、気を付けて」。
思わず同行を拒否してみたが、家族が離れ離れに暮らすことになるのだ。本当にいいのか?ましてや娘はまだ小学生だ。一緒に行けない理由は多くない。とはいえ大切な仕事、かけがえのない友人たち、高齢の両親、大好きな我が家…幼い娘にだって打ち込んでいるものがある。いやだ。手放したくない──数か月間、胃が痛くなるほど悩んだ末に、我が家はみんなで海を渡ることになった。
さて、スウェーデンハウスをどうするか──。「終の棲家」と思い、着慣れた服で寛ぐように、安心毛布にくるまるように、ぬくぬくと、幸福に過ごしていた10年間。突然引っ越しですよと言われても…なんとか家ごと引っ越しできないものか?と、だだっこのような考えが巡るばかりで建設的な動きが何もできない。しかし、時間はどんどん過ぎていく。握りしめていた手をそっと開いて、私たちはリロケーションという選択をした。赴任期間中、誰かに住んでもらうということだ。
空き家にしておけば一時帰国の時にも便利だろう。別荘にも最適なスウェーデンハウスなのだから、家自体の傷みだってそれほどないに違いない。けれど、誰も住んでいないこの家を想像することは、とても寂しいものだったし、経済的にも非効率だ。私たちと同じように、この家を大切にしてくれる人を探そう──引っ越し準備は慌ただしく始まった。
< ウフフの我が家 2015年 ウフフの我が家 2017年 >