モジュール式シェルフString®の奇跡
その名を知らなくとも、スウェーデンの人が一目見れば「おばあちゃんの家にあった!」「子供の頃使っていた!」などと答える馴染み深いシェルフ〈String®〉。今年で誕生70周年を迎えるそれは、建築家ニルス・ストリニング(1917-2006)と妻でデザイナーのカイサ・ストリニング(1922-2017)によって1949年にデザインされました。いつでも簡単に棚の位置を変えたり、後から追加して拡張したり…。時代に左右されないタイムレスなデザインは、いつの時もそれぞれの人生の変化に応え、その時々の暮らしに寄り添いながら、荒波を乗り越えて、その存在を維持してきたのです。
1940年代の戦中の時代、スウェーデンでは食料の配給が行われ、首都ストックホルムでは住宅不足が深刻な問題となっていた頃のこと、ニルスはスウェーデン王立工科大学で建築を学んでいました。ニルスが住んでいたアパートは、2つの部屋とキッチンがあり、世界的に有名なスウェーデン人建築家シーグルド・レヴェレンツがデザインしたブックケースが壁に掛かっていました。シェルフを支える構造のこのブックケースは、String®のインスピレーション源の一要因になったと言われています。ある時アーティストの家を設計する課題が与えられたニルスは、その家のキッチンにスチールワイヤーを使用した水切り用のディッシュラックを考案しました。これが後のString®誕生のもう一つの起源に繋がります。
ニルスとカイサは1944年に結婚し、お互いのパーソナリティを活かして、様々なものを考案し始めます。建築家のニルスは新しい概念に対して、急進的かつ革新的な人物であった一方、デザイナーのカイサは几帳面で忍耐強く芸術家肌の人でした。戦後、新素材のファイバーボードと航空技術が家具市場に普及し始めると、彼らもその素材に着目し、樹脂コーティングされたワイヤー使用のミニマルなディッシュラックを完成させました。この製品はエルファ(Elfa)という名前が付けられ市場に登場するやいなやヒットとなって、鍋用の棚、ソープラック、ベビー用具、クローゼット用のワイヤーバスケットなどの製品にも採用されスウェーデン中に広がりました。ちょうど住宅の供給が徐々に進み、世の中が安定して、明るい未来が見え始めた時代でもありました。
機能的な良いものが世の中に増える一方、当時のブックシェルフの多くは見た目が不格好で、両サイドから書籍が落ちてしまうデザインばかり……どうにかしてこの問題を改善したいとニルスは強く感じるようになりました。 1949年のある春の日、エルファのディッシュラックのデザインと、ワイヤーを使用した書棚の構造がニルスの頭にひらめきました。ニルスははしご状のワイヤーが棚板を支える構造のスケッチを新聞の隅に描き、それを元にカイサが図面を起こしました。そしてニルスは図面を受け取ると自転車に乗ってスポット溶接ができる照明工場へ乗り込みました。さらに建具会社にも出向き、4つの棚板をカットしてもらいました。こうして完成したブルーのフレームとパイン材の棚板から成るシェルフは自宅の壁に取り付けられました。
その年の秋、手頃な価格のブックシリーズBFB(Bonniers Folkbibliotek)を販売していた大手出版社のボニエール(Bonnier)は本棚のコンペティションを企画しました。スペースがあれば人は本を購入する、というマーケティング調査を受けてのものでした。また、これからの時代、書籍がより⾝近なものとなり、多くの本を買い求めるにつれて収納棚が必要になると考えたからです。自分で組み立て出来たり、ニーズに応じて拡張できるような、BFBのブックシリーズにぴったりの棚が市場に存在していなかったのです。
応募者は世界中から194組集まりました。ニルスは自宅にあったシェルフに改良を加え、ウォールナットの棚板を2枚の白いフレームが支える「String®」という作品をコンペに出品、見事優秀賞を受賞しました。製品化が実現しホワイトのフレームとマホガニーの棚板のコンビネーションで、当初「BFBシェルフ」という名で発売されました。棚は軽くて実用的で、スリムなラインと使いやすさが備わり、これまでの家具のようにどっしりと重い床置きのタイプではなく、まるで宙に浮いているかのようで、壁から簡単に外すことができるので、人生のさまざまな段階で所有者の行く先々へ同行させることが可能です。また運搬が簡単で配送費削減につながるフラットパッケージが採用されました。どこよりも早く取り入れられたこの梱包方法は、当時ボニエールが行なっていた車での本の販売にも最適で、書籍と書棚を同時に売ることができる合理性を兼ね備えたものでした。たった数年で約40,000個のシェルフが売れ、1950年以降は、新しいサイズ、引き出し付きの棚、雑誌スタンド、ショーケース、カップボードなど、さまざまなパーツが開発されて、小さな棚はまたたく間に、多様性のあるモジュール家具として成長していったのです。
誕生以来初めて登場した屋外使用が可能なString®
Photo:String Furniture
String®の低迷と復活
流行やその時々の経済状況、暮らしの変化によって、常に華やかな時代を維持し続けることができるわけではありません。String®にも大きな波や影があり、一時は生産終了にまで追い込まれた時期がありました。
しかし “本物”とは必ずそこに誕生した理由があり、意味を持って存在しています。決して基盤を変えてはいけませんが、世の中の流れに合わせて常に進化させることで、どの時代にも見合うタイムレスデザインとなり得ます。その形や構造の意味、String®とは何なのか、この哲学を一ミリもブラさずに、現代技術を上手に取り入れ、新しい製造方法や素材を使い、古めかしいイメージを払拭させて、String®は2005年に見事に蘇りました。“本物” だからなし得たことです。
ニルスはこの再出発に際し、2枚のサイドパネルと3枚の棚板がセットになった小ぶりな収納棚String® Pocketの構想をひらめきました。定番のString®のフィロソフィーはそのままに、小物類を収納し飾る棚としてホワイト、ブラック、ピンク、赤、黄色、ブルゴーニュ、淡いブルーのString® Pocketが2005年後半に発売され、これを機に種類豊富なカラーがString®の大切なポイントとして定着していきました。そしてこの偉業を成し遂げた翌年の2006年、ニルスは89年の生涯を終えました。その後カイサは2017年の秋に95歳で亡くなりました。
String®は現在スウェーデン人デザイナー ビョーン・ダールストロームと建築家アンナ・ヴォン・シェーヴェン夫妻がデザインを引き継ぎ未来へと繋いでいます。シンプルさと機能性、そして美しさを備えたString®の魂に対して細心の注意と敬意を払いながらも、時代にあった実用的な商品を考案し、生活すべてに関わる小さな家庭用品からワードローブとしても対応できる汎用性あるシェルフへと進歩させています。書棚から始まったString®は今では家のどの空間にも、オフィスのあらゆる環境にも適応する収納システムへと成長したのです。
Elfaのディッシュラック
Photo:String Furniture
クローゼット用のワイヤーバスケットについて語るニルスとカイサ
Photo:String Furniture
String®のデザインがひらめいたのはトイレの中
Photo:String Furniture
ボニエールのワゴン車販売
Photo:String Furniture
堀 紋⼦:北欧ジャーナリスト&コーディネーター
10代でスウェーデンに渡り、ガラスのテクニックとデザインを習得後、ストックホルムで活躍するガラス作家に師事。帰国後、創作活動の傍ら北欧の⽂化イベントを企画開催。その後北欧情報誌の現地コーディネートやプランニングに携わる。現在は独⽴し東京とパリにオフィスを持ちながら、ヨーロッパの暮らしや料理の提案、執筆、現地コーディネート、北欧企業のビジネスサポート、PRを⼿がけるなど活動の幅は多岐にわたる。
< 2019年 8月号 ビジョン・ゼロの取り組み
2019年10月号 スウェーデンのお葬式とお墓参り >