「森のしあわせ通信」生活水準向上の施策 100万戸プログラム

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生活水準向上の施策 100万戸プログラム

日本では戦後に導入され現在もURと名を変えて存在する公団住宅。スウェーデンでも住宅不足の解消とともに、国民の暮らしを向上させることを目的に、1965年から1974年にかけて1年に10万戸ずつ住居を増やすという計画「100万戸プログラム(Miljonprogrammets)」が社会民主党政権のもとで導入されました。

1940年代にスウェーデンで住宅水準の向上を目的に調査が行われ、この調査結果をもとに1940年代後半における、高水準とされる住宅の基準は “2人に1部屋(キッチンを含まない)” と定められました。このような状況下で1945年から1960年の間の15年間に、82万2千戸の新しいアパートメントや戸建てが建設されました。しかしそれに反する形で、これまであった古い建物が取り壊されたことにより、結局のところ約57万戸増に留まる結果となりました。

このため、1950年代から1960年代の初めにかけてのスウェーデンでは、住宅不足がより深刻化し、実際には一般的な住宅水準は定められた基準より低く、狭い住居に大人数が手狭に暮らすことが当たり前の状況になってしまいました。この問題は特にストックホルムで顕著にあらわれていたようです。そのため1957年に全国規模の建築規則を用いた新しい建築法の導入、並びに、住宅建築評価基準が設定されました。調査の結果、1960年から1975年にかけて150万戸の住居の必要性が明らかとなり、建設における合理化の推進が不可欠となったのです。

1965年、政府は住宅政策に対して総体的なアプローチを検討し、目標を策定、そして「適切な設備の整った、健全で広々とした住宅を、計画的に、合理的なコストで備える必要がある」としました。そしてスウェーデン議会はこのプロジェクト期間中、市町村に対して年間約10万戸の住宅に融資することを承認したのです。同時により安く住宅を建設・供給するために緊縮財政措置が施され、また1,000戸以上の住宅を含む大規模な都市計画については、さらに特別なサポートが与えられました。この支援を受けるためには、1954年から1976年までに交付された「優良住宅(God bostad)」に書かれた要件を満たす必要がありました。それは例えば、衛生的で作業効率がよく、収納についても考慮されたキッチンであることなど、各部屋の事細かな内容が示されたものでした。以降、新築家屋の生産年率は予定していた10万戸から12万戸の20パーセントに増加しました。そしてこのような大規模な計画は1戸あたりの建築コストの削減に繋がり、粗悪な欠陥住宅が生まれにくいという結果に繋がりました。

ちなみにこの「100万戸プログラム」の実施にあたり、1959年の年金改革と国営住宅ローン制度の変更によって、APローンに対する多くの資本が蓄えられたため、大規模な工業建設が可能になったことはスウェーデンでは周知の通りです。

main_002_mori_sweden07 団地内には公園も備わっています
Photo: Ulf Lundin/imagebank.sweden.se

100万戸プログラムで誕生した住宅

100万戸プログラムによって誕生した住宅は集合住宅の他、長屋、戸建、別荘など、その地域に合った様々な形態のものでした。多くが建築物の一部又は全ての部材をあらかじめ工場で製作し、建築現場で建物として組み立てるプレハブ工法を用いたコンクリート造で作られ、外壁にレンガが用いられることもありました。コンクリートを用いた住宅製造は気候に左右されることなく工場で計画的に生産することができたため、建設費や建設日数をこれまでの建築方法に比べて大幅に削減することができ、合理的・効率的な観点から、その後の住宅・ビル建設にも採用され、今日においてもスウェーデンの大規模建設の工法のベースとされています。また100万戸プログラムの10年間で生産された約100万台の台所は、その後のスウェーデンのキッチン規格にも大きく影響しています。

main_003_mori_sweden07 団地内にスーパーや飲食店があることも
Photo:Ann-Sofi Rosenkvist/imagebank.sweden.se

main_004_mori_sweden07外壁がレンガの住宅も多く建てられました
Photo: Jerker Andersson/imageban.sweden.se

main_006_mori_sweden07 当時のインテリア
Photo:String Furniture

main_007_mori_sweden07 当時デザインされたキッチンとその周辺のアイテム
Photo:String Furniture

 


writer_photo堀 紋⼦:北欧ジャーナリスト&コーディネーター

10代でスウェーデンに渡り、ガラスのテクニックとデザインを習得後、ストックホルムで活躍するガラス作家に師事。帰国後、創作活動の傍ら北欧の⽂化イベントを企画開催。その後北欧情報誌の現地コーディネートやプランニングに携わる。現在は独⽴し東京とパリにオフィスを持ちながら、ヨーロッパの暮らしや料理の提案、執筆、現地コーディネート、北欧企業のビジネスサポート、PRを⼿がけるなど活動の幅は多岐にわたる。

 

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