スウェーデンハウスオーナーのコピーライターが綴る、ひとりごとのような本音エッセイ。異国の地「上海」からふり返る、「ウフフの我が家」完結編。
さよなら、我が家。(その2)
突然の辞令に驚き戸惑う我が家。それでも前に進んでいかねばと、各種手続き、情報収集、身辺整理等が始まった。3年か、5年か...転勤の期間がどれほどになるのかは誰にも分からないけれど、とりあえず5年間を想定して、この家の借主を探すことにした。娘は寂しがり、「私の家」を知らない人に貸すことを拒んだが、もうどうしようもない。いずれ必ず帰ってくるのだからと言い聞かせる他なかった。
5年限定という条件にも関わらず、借りたいと言ってくれる人は幸いにも複数現れた。中には「スウェーデンハウスに一度住んでみたいから」という理由の人もいた。そして実際に内見した人たちは皆「ぜひ」という言葉を残して帰って行かれた。できるなら、この家の良さをしっかり理解して住んで欲しい。この家を好きになって欲しい、この家で幸せな時間を過ごして欲しい...この家は特別なのだから。この家はスウェーデンハウスなのだから──今になってその時のことを振り返ると、なんだか傲慢だったかなと思えるほど、我が家に住んでくれるかもしれない人に会うたびに、私たちは必死でスウェーデンハウスの説明をしていた。
ほどなく借り主が決まると、バタバタと手続きが始まった。想像以上に煩雑で、時間もかかる大変な作業だったが、大切な家を留守にするのだ。細かいことまできちんとしておかねばならない。そうこうしているうちに、夫は一足先に赴任先の上海へ旅立った。山ほどの雑用と荷物を置き去りにして。
私と娘は、二人で荷造りを始めた。上海、実家、貸倉庫...10年間の思い出を、行先別に仕分けして段ボールに詰め込む。以前は自他共に認める引っ越し好きで、引っ越しで人生リセット&ステップアップ!などと思っていたのに、今回はちょっと様子が違う。寂しさだけが込み上げてくる。「いずれ必ず帰ってくるのだから」──娘に言ったはずの言葉を、何度も何度も自分に言い聞かせ、止まりそうになる手を必死で動かした。
さよなら、我が家。(その3)
最後の荷物が運び出された我が家は、こんなに広かったかしらと思うほど、がらんとしていて、ひんやりと静かで、そして寂しい。10年前、2歳前の娘の手を引き、この家へやって来た時のことを思い出す。パインの色は10年経って飴色に変わり、床や壁には細かな生活の痕跡が見られるけれど、正直ちっとも古びていない。一種の親バカのような「ひいき目」なのかもしれないけれど、気おくれするようなピカピカの新築にはない、重さというか、深さというか…豊かな「何か」が育った気がする。素敵な家だ。退去後すぐにクリーニングが入ることは分かっていたけれど、それでもと、雑巾を絞って畳や床を拭いて回った。
かくして日本を出発した私と娘は、夫の待つ上海へと向かった。学生時代、広大な自然に憧れて旅をしたのは、天安門事件の直後だった。上海はまだどこか垢抜けず、暗く、閉鎖的だったが、街を行き交う人々のエネルギーたるや、鬼気迫るものがあったのを記憶している。今や中国最大の都市となった上海。特にこの数年間で急激な発展を遂げ、その姿を変えてきた。林立する高層ビル、お洒落なカフェ、老いも若きも手にはスマートフォンを持ち、生活面のほとんどをそれで処理する...NYやロンドン、パリや東京と肩を並べる大都市に変貌したのだ。ある日突然巨大スーパーがオープンしたり、ザリガニ屋がブティックに変わったり…流れの速い川のように、いろいろな景色が浮かんでは消える。「魔都上海」とは、よく言ったものだと思う。
新しい我が家は、そんな上海の金融街のど真ん中。30階建てのマンションの18階だった。先に半年住んでいた夫が意気揚々と案内してくれるが、私も娘も、引っ越し荷物に詰め込んではこれなかった「何か」に心が揺れる。「おじゃまします」と言いながら扉を開けて、スーツケースを運び入れた。
なるほど、異国
10年間住み慣れたスウェーデンハウスをリロケーションし、上海での生活が始まった。最初の数日は、手続きや食事の算段に振り回されていたが、一つひとつ物事が落ち着いてくるにしたがって、今までとは違う文化・環境に驚いたり、感心したりすることが多くなってきた。国が違う、文化が違う。気候が違えば育つ植物も違い、人々の思考回路も違うのだ。何もかもが違って当然。郷に入れば郷に従え。面白がって楽しむことにした。
買い物や運転、食事の仕方、子育ての常識…道路の渡り方ひとつとっても、慣れ親しんだやり方といちいち違う。最初こそ“え?なんで?”と戸惑ったが、そこは悠久の歴史の中で確立された中国文化。深く知れば知るほど、それぞれに大納得の理由があったりして、なんとも興味深い。
小さな例だが、お店で氷の入った水が出されることはまずない。ビールだって真夏でも常温だ。何故か?中国の人達は、冷たい物で身体を冷やすのは健康に良くないことを、小さい頃から教えられているからだ。少しくらいの体調不良は「おうち漢方」で治してしまうほど、彼らの食養生の知識はすごい。まさに医食同源。日々の食べ物は全て薬だと言ってのける友人さえいる(なんかすごく、カッコイイ)。
気候や習慣が違えば、スタンダードスタイルも変わる。快適だったスウェーデンハウスのことが頭をよぎる...。北欧住宅の良さをそのままに、でも、日本の文化や暮らしに沿って、改良・工夫されていた。いやまったく、心地の良い家だった。
また会う日まで
上海に来てから二度目の冬がやってきた。時が過ぎる速さに、心のスピードがやっと追いついてきたようで、近頃は自分のペースで、穏やかな日々をおくっている。海外と言っても今はどこにいても、誰とでも繋がっていられる時代だ。多少の規制はあるにせよ、それでも両親や友人たちと容易に連絡を取り合うことができるのだから、有難い話である。
私たちのスウェーデンハウスに住んでくれている家族からも、季節ごとに連絡がくる。お貸しする際に「数年だとしても、スウェーデンハウスに住めるなんて嬉しい」と言ってくださったご主人は、とても誠実かつ筆まめな人で、庭木の様子や、メンテナンスのこと、また、「ウッドデッキで月見をしました」「友人たちを呼んで食事会をしました」等、折に触れ楽し気な様子を伝えてくれる。
そりゃあそうだろう、スウェーデンハウスだもの。私たちの家だもの。快適でしょう。楽しいでしょう。お月見かあ...いいねえ──幸せに暮らしてくださっていることに心からほっとしながらも、ほんのちょっと、1%か2%...もう少し多いかな?(笑)...嫉妬に似た感情があることも、また事実。望んでリロケーションしたはずなのに、なんと心の狭い私であることよ!
家は道具だと言う人もいる。雨風防げればそれでいいと言う人も。実際そうなのかもしれない。でも私にとってのスウェーデンハウスは、ただの家ではない。離れがたい友人のような、温かい家族のような、誰にも取られたくない恋人のような...そんな存在なのだ。物であれ、人であれ、「代わりになるものがない」という存在に出会えることは、幸せだ。一生のうちに、一体いくつそんな出会いがあるだろうか。今、帰りたい場所がある──私は、とても幸せだ。
何年後になるだろう。ふたたび「ウフフの我が家」に戻ったら、私はどんな気持ちになるだろう。どんな毎日になるだろう。その時になったら、またこうやってひとりごとを書かせてください。それまでどうか、お元気で!
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