スウェーデンの伝統的な家庭料理にエンドウ豆のスープ エルトソッパ(Ärtsoppa)があります。北欧諸国ではスウェーデン同様に親しまれている料理で、材料は主に黄色エンドウ豆、豚肉、玉ねぎやニンジンといったとてもシンプルなものです。胡椒やマスタード、タイムやマジョラムなどで味付けし各家庭の味に仕上げます。このエンドウ豆のスープですが、スウェーデンでは多くの人は木曜日に食べる習慣があります。
自然環境が厳しく、食物が育ちにくい北国のスウェーデンですが、エンドウ豆は13世紀ころの昔から安定して収穫ができる食物でした。収穫後すぐに食べることも、乾燥させて長期保存することもでき、乾燥させた豆は水に戻して調理したり、粉末にしてパンに混ぜたりするなど、様々な調理法が可能な上、栄養価が高く、毎日の食材として重宝されてきたのです。
バイキング全盛時代から中世が終わる16世紀頃まで、スウェーデンではカトリックを宗派とした社会が成立していました。厳しい規律を保つカトリック教ではイースターの40日前から断食が始まるため、その前日の木曜日に滋養の高いエンドウ豆のスープを食べる習慣がありました。これが今でも続く“木曜日に食べる” 所以です。
またこの時代、スウェーデンの農家の一般的な食事はお粥でした。お粥と言っても、白米で作るあのお粥とは異なります。カブや大麦、ライ麦、エンドウ豆から成るお粥で、それは家庭で1日に一度作られて、木の大皿に盛られ、テーブルの上に出されるという質素なものです。当時はそのお粥を、一人ひとりが木のスプーンで順番に食べることが一般的だったと言われています。毎食温めなおされたそれは、回を増すごとに厚みのあるお粥となりました。そしてこれが今日のスウェーデンのスープのもととなり、エンドウ豆のスープの起源となりました。
1618年から1648年にかけてヨーロッパでは三十年戦争が勃発しました。スウェーデンも巻き込まれたプロテスタント派とカトリック派による宗教戦争ですが、戦いが長期化する中で、食料の入手可能性について戦う状況となり、食料が豊富な土地争いに発展しました。軍領土拡大とともに、隊員たちは自らその土地の食材を調達し、食事を作る必要に迫られました。この時どの地域でも収穫できたのがエンドウ豆だったのです。そしてエンドウ豆を使った各々の家庭料理や習慣が戦地でも受け継がれていきました。とは言え食料は常に枯渇しているような戦場下、そんな中でも木曜日にエンドウ豆のお粥を食べる習慣が規則正しい軍隊が故に根付きました。そしてこの習慣が今日にまで伝統として受け継がれるようになったのです。
Photo:Tina Stafrén/imagebank.sweden.se
その後1800年代になると、街に家庭料理を売りにするレストランが現れ、エンドウ豆のスープがメニューに並ぶようになりました。安価なそれを少しでも豪華にするためにデザートとして共に出されたのがジャムたっぷりのパンケーキだったのです。今日エンドウ豆のスープは街のレストランやカフェではあまり見かけません。それでも今でもエンドウ豆のスープは木曜日のメニューであり、給食や企業の社員食堂、軍隊でランチとして食べられることが多く、ジャムがたっぷり添えられたパンケーキ(クレープ生地のようなもの)が必ずセットで付いてきます。
10代でスウェーデンに渡り、ガラスのテクニックとデザインを習得後、ストックホルムで活躍するガラス作家に師事。帰国後、創作活動の傍ら北欧の⽂化イベントを企画開催。その後北欧情報誌の現地コーディネートやプランニングに携わる。現在は独⽴し東京とパリにオフィスを持ちながら、ヨーロッパの暮らしや料理の提案、執筆、現地コーディネート、北欧企業のビジネスサポート、PRを⼿がけるなど活動の幅は多岐にわたる。
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